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「茫々録・鶏肋抄」 098『少年が怯えた徴兵検査のM検 Ⅰ』
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Author: ようこう
 ブログを始めて…やっと 自分のバイに気が付いた男の断想です。オモテでは云いニクイことを中心に 個人的偏見を書こうと思います。前の記事でも コメントには眼を通していますので、何処でも随時に コメントをお願いします。
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「茫々録・鶏肋抄」
結婚後に バイに気が付いた男の愛妻記は一段落ですが、生きているとまた 云いたいことが出て来ます。その未練を 折々に書きましょう。《未成年はお断り‥ 営業目的のトラックバックは削除します。》
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098『少年が怯えた徴兵検査のM検 Ⅰ』
前に 095B「性の不安と惧れ‥」でも云ったように、昭和十年代の青少年は 陸海軍の予備軍と考えられ、幼年学校や予科練では 兵役以前の入隊も推奨され始めていました。そんな中で 密かに我々が知ることが出来るのは、それらの入隊に際して M検があると云うことだけで‥、聞かされるのは総て 二十歳での徴兵検査のやり方でした。(続く)
                       徴兵検査の様子
                         徴兵検査の様子
                         (内閣情報局『写真週報』1941年)             
(承前)
何せ‥ 陰毛も生え揃わ無い年頃の、恥ずかしい盛りの少年達です。最近の風潮と違って 当時はゲイやバイを認知する言葉すら無く、戦争中は国策として〝生めよ増やせよ〟が叫ばれながら 青少年の育成の場は厳しく統制され、性の問題は 禁句になっていました。所謂‥不良の軟派と硬派がありましたが 圧倒的に硬派が多い情況でした。

高校生世代になると バンカラの気風が主流であり、そう云う連中の精液の飛ばしっこなども 聞くこともありましたが、中学生の世代には 前述の「些事蛮風」のような行為も取り締まられ、隠れた同性愛の行為などは あっても密かに潜在していて、今なら告白掲示板で日常的に読める マスの掻キッコなどは、全く 聞いたこともありませんでした。

そんな‥自分では 何の対策も行えず、どう自分を納得させ方も 判ら無ぬままに、ジリジリと その時の来るのを待っていたことは、私の精神の形成に 少なからず性への恐怖の先入観を植え付け、私の性への態度を 臆病にした気がします。だから今のような 開放的な時代になり、そのM検の体験談を読むと 改めて感無量の思いになります。

【軍隊でのM検体験 より】 http://osaka.cool.ne.jp/mkensa/shoko1a/m02.html 
 (前略)徴兵検査は出身地の和歌山県の小学校講堂で受けた。強制的に性器を人前に曝し、いじくられるという恥ずかしく、惨めで、切ない体験を今は懐かしく思い出すのである。
 徴兵検査会場には徴兵医官だけでなく、看護婦、軍人、市役所兵事掛の役人、さらには国防婦人会も手伝いに来ており大勢の人がいた。
 私が受けた和歌山の会場では越中褌着用であったが、地方によっては最初から最後まで、身長も体重もすべて全裸で行う場合もあったようで、東京の検査場で受けた同僚によると、集合するとすぐに全裸にされたそうである。褌も取り上げられた壮丁達は大勢の軍人や主婦たちまでもが見守る中で終日、全裸のまま検査を受けたと聞いた。

《ここで注意を要するのは こう云う〝男が全裸になる〟徴兵検査の場に、国防婦人会‥と云うような 年配の婦人会の連中が、お手伝いと称して 一日中‥検査場をウロウロしていたことである。当時‥壮丁の男が兵役に取られた銃後を 在郷軍人と婦人会で守ろう‥と云うのが大義名分であった。婦人会には 白い割烹着に名襷を斜めに掛けた国防婦人会と、草色の上っ張りに同じく名襷を掛けた愛国婦人会があり、おかみさん気質の国防婦人会と 奥様風の愛国婦人会が勢力争いをしていた。》

 丸裸になった壮丁は、自分の体が自分のものでないことを知ることになる。そこにぶら下がっている性器でさえ”男子のシンボル”でなく”日本国男児のシンボル”、つまりお国のものであって、大勢の国防婦人会の主婦たちの前でも性器を隠さず堂々とさらけ出して、規律正しく迅速な軍隊行動をすることを要求される。
 日本男児と生まれたからには、だれもがこの生殖器検査を受け、性器を恥ずかしがるなどと言う感情は許されなかった。
 当時、男は徴兵検査を受けて一人前になると言われていた。それは徴兵検査が疾病検査とは異なり病気の検査だけでなく、生殖器としての機能も調べるからである。

 徴兵検査を受ける事で男性生殖器である睾丸や陰茎を握られ、亀頭溝まで完全に皮をめくって生殖機能を触診検査をされる。陰茎が異常に小さかったり、大きすぎる場合は勃起させて奇形かどうかを詳しく調べられた。睾丸機能も同じで正常範囲を超えるほど大きかったり小さかったりすると、射精検査を行った。
 当時の日本は人口が即、国力と考える「産めよ、増やせよ」の時代であった。兵隊の年代こそ子育ての世代であったため、徴兵されて入営した後も、結婚していて子供のいない兵隊には種付けと育児のために「種付け帰郷」として1年ほど除隊させた。子供がある程度育つとまた入営するのである。

 しかし、独身者と、徴兵検査時に生殖能力に異常が発見されたものにはこの特典はなかったという。このように徴兵検査を受けることでようやく奇形も病気もない、男性生殖器を使ってもよい健全な男であると証明されたのである。
 さて、私が受けた徴兵検査である。その日、小学校は休日だった。受付をすませ廊下で越中褌一枚の裸体となり徴兵検査場である講堂へ入る。正面の壇上には50代くらいのカイゼル髭の立派な徴兵検査官が座って全体を見渡していた。
 入り口から運動能力検査、体力検査、身長・体重・胸囲・座高・視力というように、順序よくその場が設定されており、最後の場所に「M検場」があった。そこはかつて私が小学生の時覗き見した場所だった。

 私ははじめの方だったから順調にゆけば早く終わるはずだったが、視力検査で引っ掛かり最後まで待たされたので「M検場」に到達した時は、すでに陽は西へ傾き、M検を受ける壮丁だけが残っていた。「M検場」は他の受検者から見えないように衝立で囲み隔離され窓は暗幕で隠されていた。工場で性器触診を受けた時は丸見えだったが、ここでは中が見えないので救われた気持ちになったが、一人づつ壮丁が衝立の中へ消えてゆき、順番が繰り上がってゆく間、衝立の中で何が行われているかを色々と想像させて、逆に見えないことに不安を感じ切なかった。

 どんな格好で剥かれるのだろう? 工場の時と同じなのだろうか? 勃起してきたらどうしよう? 検査医官はどんな人なのだろう? などと衝立の中の妄想に胸は高鳴り、褌の中では陰茎が疼きに悲鳴をあげて何度も勃起を繰り返した。
 いよいよ私の番がやって来た。早鐘のように心音がドクッドクッと打つのが聞こえる。そっと褌の上から陰茎に触れてみる。どうやら膨れてはいるが勃ってはいない事に安心する。その時、慌ただしく衝立の中から医官と看護婦が壮丁を中に残したまま出て来ると講堂の外へ消えた。前の壮丁の淋病が露顕したようであった。

 しばらくして医官が帰って来て「中へ入れ」と私を呼んだ。看護婦は前の壮丁の淋病処置に手を取られているのだろう、中にはいなかった。医官は書類を一覧すると椅子に股を拡げて座った。髭を生やした威厳のある老医であった。
 私は指定された床の足型の位置に立った。足型の幅は50センチほど開いていた。
「褌の前を外せ!」の声に越中褌の前垂れを尻の方へ引き抜いた。

 「両手を後ろに組んで、腰を前に突き出す。もっと……もっと……。」促されるままに徐々に腰を医官の鼻先へ突き出すと医官は左手で陰嚢を握り包み、右手で陰茎を握り包皮を剥いて完全に亀頭を露出させると強く握り直し、陰茎全体を亀頭の方へ皮が突っ張るほどもみ上げた。
陰茎がちぎれるほど強く引っ張るのでかなり痛い。生温い掌が陰茎を締めて亀頭の方へ絞ってゆく。この動作を三度繰り返され、カリ首を強く締め付けられると、陰茎は敏感に反応を示し、奥底から感応してはならない疼きが沸き出し、半勃起の弾力ある状態になってしまった。勃起しては困ると他のことを懸命に考える。

 しかし医官の掌は容赦なく前より一層強く握り締めて極めてゆっくり亀頭の方へ数回絞りあげる。痛いほどの快感がビンビンと頭に伝わってきてどんなことも考えられない。
じっと切なく、残酷なしごきに耐えた。医官は尿道口の膿の有無を見定めようと亀頭をひねると親指と人差し指で鈴口を開いた。その瞬間、先走り液がプクッと飛び出した。待機中でも幾度となく出そうで危惧していた事が医官の前で起こった。
 陰茎が固くなってゆくのを感じた。もう、どうしようもない。医官が鼠蹊部軽侮の辺りを圧するために両手を離すと陰茎は意思とは関係なくズキン、ズキンと大きく波打ちながら急速に天に向かって勃起していった。恥ずかしさに生きている心地がしなかった。

 医官は見馴れた様子で別に気にとめる風もなく、陰茎を腹の方へ押しつけ睾丸を片方づつ丁寧に握り固さを検査している。私は放心したように彼の掌の動きを無感覚に見詰めていた。それほど陰茎勃起はショックだったのである。
「後ろを向いて……床に掌をついて……」四つん這いになり医官の眼前に尻を高く差し上げた。「もっと高く……」両手で強く肛門を開き、金属棒のようなものを押し込んでぐっと拡げたような感じがした。
冷やりとして痛かったが、同時に快感とも違う痺れるような妙な感覚が陰茎を走った。ふと、自分の股間を見ると先走り液が粘い糸を引いて垂れ下がっていた。

 陰茎は完全勃起に近いくらい大きく膨らんでいた。顔が真っ赤に火照っているのが分かった。「竿も睾丸もよく発育している。よい道具である。大事にせい。」と言って尻を叩かれた。 向き直ると医官は、天を突いて勃ちきっている陰茎を引き下げ、握手でもするように握って前後に動かした。恥ずかしさと照れくささに私は頭を掻いた。まさしくその姿は小学校六年生の時、盗み見したこの場所で頭を掻いていたあの筋肉隆々たる壮丁の姿と同じであった。逃げるようにして出口に向かい急いで越中褌の前垂れで隠したが、興奮した陰茎は怒張したまま収縮せず前垂れを突き上げていた。

 横から越中褌の中が丸見えで、衝立の外へ出ようにも出られず困ってしまった。すでに次の壮丁が入って来て医官の前に立っている。困っている私に気が付いた医官が側に寄って来て褌の前を外し、いきなり睾丸をピシリとはじいた。
屈み込むほどの激痛だったが、その瞬間陰茎は力を失っていた。心得た処置であった。出口で次の壮丁の陰部を見ると、すでに包茎の陰茎が水平近くまで持ち上がっていた。包皮が半剥けになり虚空に息づいていた。直立不動の姿勢で、間近で腰掛けている医官に陰茎を突きつけ、恥ずかしい扱きが始まるのを待っていた。◇

《冗長なので 一部を省略しようと思ったが、ややりそれも 時代を描く一つの要因と考えて、そのまま 採録した。興味のある方は 他にも多くの例があるので、原文を読まれることを お勧めしたい。》

【M検室-名無し2ch】 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/33/1054372095/331
徴兵検査と婦人会 投稿者:Mkn (4月10日(木)11時05分36秒)
「徴兵検査の想い出」 昭和12年6月15日

 老兵(自分の‥の意味)の徴兵検査の日でした。
 神戸連隊区司令官《少将》をお迎えして、小学校の講堂で施行されました。
 丸坊主丸裸、僅か20センチ角の綿布に紐をつけて腰に結び付けて前を隠しただけで、いろいろの動作をするのです。
 大日本帝国国防婦人会と称する団体から大勢の見学者がきておりました。
 初めのうちは恥ずかしくて身の竦む思いでしたが、すぐになれました。
 年配の女性もいましたが大半は若い女性でした。
 老兵の受験番号は15番でした。各種検査が終わり最後に、司令官の前に進み出て、各自の番号と名前を大声で名乗るのです。

 これに対して司令官は、甲種合格から、第1乙種、第二乙種、第三乙種、丙種、戊種の六段階の成績を言い渡されるわけです。老兵までの14人中には一人も甲種合格者は居りませんでした。老生が進み出て《15番 田邊○》と大きな声で名乗ると、司令官も大きな声で、《田邊○甲種合格》といってくださいました。すると見学の婦人団体の中から、ホーッというどよめきの声が上がりました。どうゆう意味のどよめきかいまだにわかりません。其の時の老兵の心境は面はゆい誇らしい、何か一言では言えない複雑な気持ちでした。
 当時の老生の体格は身長 162.5センチ、体重 52.5kgでした。半年後の入隊時には163 センチ 53kgでした。
 http://cat.zero.ad.jp/~zar06458/jibunsi.html
[陸軍身体検査]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E8%BA%AB%E4%BD%93%E6%A4%9C%
E6%9F%BB%E8%A6%8F%E5%89%87

《この‥婦人会が手伝いと称して 徴兵検査の現場に来るのには、穿った ワケがあったと云う。それは 自分の娘の婿の候補を、裸の状態で マラまで確かめたのだと云うのだ。まさか‥とは思うが 昔のことで妙齢の女にとって、それは 堂々と男の道具を品定め出来る唯一のチャンスだったのかも知れ無い。》 (Ⅱへ 続く)
この記事に対するコメント
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【2010/09/24 23:17】 | # [ 編集]

少年自衛官
昭和30年に「少年自衛官制度(自衛隊生徒)が発足した、これは15歳~217歳までの男子で、中学三年生が受験する。ここでは性器・肛門検査(M検]が課されていた。本当に脱いでしまわないといけない。

ある本に昭和37年の「少年自
衛官の身体検査」の写真があった。何の検査だか部屋の前で
白いパンツ一枚の受験生が並んでいる。
それを全部脱いだ全裸の受験生の姿を想い描いた。

また40年代の「アサヒジャーナル」には、少年自衛官が手足を伸ばして4つんばい姿で肛門検査を受けているところを衝立の陰から移したカラー写真がのっていた。
【2009/10/02 21:30】 URL | k #- [ 編集]


国民体力検査は4月から7月までの間に実施。
だから15歳といっても実施時には14歳と何カ月。昭和17年に石井磨というひとが中学生7000人について仔細に検査したところ、発毛は平均14歳4ヶ月という。つまり生えるか生えないか、発毛の兆しがあるか無きかから発育の進んだものまで一緒に検査する。
当時は、幼年学校入試とか14歳の少年兵の試験までM検が課されていた。
自分は昭和30年代半ばごろ中学生で、三年生の時、春の身体検査の時、パンツ一枚で順番を待っている時、先に終わったヤツが出てきて、「チョーヘイケンサンサしるからパンツ脱げってゾ」と言われた。エエッと思ったが、本当だと困ったなとおもって、こころもとなかった。
チョーヘイケンサの意味はわからなかったが、このときは、もう生えていてひとりいじめていてすぐおおきくなるのでいやだなとおもったが、なにもなく担がれただけだった。
パンツ一枚なのに、それも脱げという考えられないことで困った恥ずかしいのにと思った。後で損の意味が分かった。
そのご、この検査で同じ中学三年生で本当にパンツまで本当に
脱がねばならない、そんな検査場に立ったそのころの同じ年頃の中学生の気持ちはよくわかる、やっと終わって、また来年も、さらに再来年も発育していくそれを強制的に検査され、その後徴兵検査に臨む、当時の青少年のことを思うと手はどうしてもそこにいってしまうのです。


【2009/09/16 23:13】 URL | k #- [ 編集]

国民体力検査
徴兵検査に怯える間でもなく、昭和16年に15歳つまり、思春期まただなかの中学三年生出会ったもの、昭和最初の昭和2年生れの男子は、徴兵検査間で毎年国民体力検査という予備徴兵検査で、M
検を受けることになる。人前で性器を晒すことが死ぬほど恥ずかしいお坊ちゃんでも、順番が来たら一気にパンツ間で脱いじゃって・・めくり上げられるのだ。
【2009/09/15 22:31】 URL | K #- [ 編集]

国民体力検査
昭和17年から予備徴兵検査というべき国民体力検査というのがスタート。その年11月までに17歳になる男子は徴兵検査
間で毎年、M検を含む身体検査と体力検査を受けることに。翌昭和16年から15歳以上、つまり中学生は3年になると、性器・肛門まで晒す。
【2009/09/13 20:21】 URL | H #- [ 編集]


訂正
  少年も受けた国民徴用検査


昭和14年   16歳ー50歳  男子

昭和19年   12歳ー60歳  男子
 
【2009/05/24 10:40】 URL | だれかさん #- [ 編集]

少年設けた国民徴用検査
強制的に体をとられるのは昭和14年から「徴兵」のほかに「徴用」ができた。これを刻印徴用という。

徴兵は20歳なのに対し、国民徴用は職業能力を申告し、そのなかから徴用検査して軍需工場や炭鉱に徴用したもの。国民徴用は、昭和14年には男子16歳から50歳まで。身体検査は、徴兵より一般にひどかったよう。「写真昭和30年史」にでてくる。

どこか小学校の教室痛いなところで、机はどかされ、窓は開け放たれ、二十人くらいの男が一糸まとわずの男子は記お付けの姿勢で整列。前には検査官がたち何か訓示、前にはすでに後年の素裸の男が出ていて、そばには消毒液の入った洗面器が。

年齢には幅がある。左手前の男子はあきらかに少年体位で肌も細くすべすべし、お尻も
ぴちぴちぽっちやりしている、16歳ですぐ徴用されるのだろう。ほかの男は50歳くらいのようだ。

前から見たら、まだ生え揃は無い朝顔の蕾から、もう妻帯で赤むくれ・・これから検査がはじまるのだろうか。徴兵検査は21歳ではなく、ここでは強制的に16歳から実質行われた
のだ。

昭和19年2月からは、徴用の耐えの職業能力深刻年齢を、123歳以上60歳以下に改正され、すぐにその徴用が行われたヽ。中学校2年生で放校(退学9になった中学生はすぐ徴用され、筑豊炭鉱に贈られたそうだ。贈られた後尾刻印体力検査は受けただろう。。

徴用徴用身体検査は、どんなものだったろう。16歳以下でこうした検査場に送られたものも少なくないだろう。
ずるむけでも完全に剥きあげる、おちろん朝顔の蕾でも容赦なく、それは少年兵やせ戦後の大学入試でもそうだったようだ。

徴用は遊んでいるものということで厳しい。放校になった中学生は、わずか13,4で下着も許されない巣裸で検査場に贈られ奇異しい身体検査を受ける。

素裸の身体検査は少年でもたくさんあった。
【2009/05/24 10:36】 URL | だれかさん #- [ 編集]

写真を 追加しました‥
ご感想は 如何ですか?。
【2009/05/16 17:38】 URL | youkou #W9meLlU. [ 編集]

悲喜こもごも、、、
結局、国防婦人会のオバちゃんやオカンも軍部に利用されてたんやね。
徴兵検査の若者が女性の前でもフリチンで堂々としてられるための胆力を付けるためのデコイいうか?
モデルと言うか?
そういう意味では本籍地で検査は行なわれたろうから、幼なじみの初恋の女性、今は嫁いでよその男の妻になっている彼女に見られることもあったわけだ。そんな場合は辛かったろうな、
そんな彼女の前で四つん這いにさせられて、勃起してしまったら、死にたいくらい辛いだろうな。
彼女の方は幼なじみの◯◯君のエレクトした竿を見て(うちのひとのより逞しいわあ、、)なんてつい思ったりして。
オバンやオカンたちは若者の逞しいナニを沢山見させられて、戦地に行っているダンナを想って、その晩はついアソコに手が行ってしまったりするかも
【2009/05/15 19:07】 URL | 昔のにいさん #- [ 編集]

資料‥
「過去ログ 16年9月~10月」http://osaka.cool.ne.jp/mkensa/kakorogu/kakorogu_1609_1610.html など 如何でしょうか?。
【2009/05/14 22:13】 URL | youkou #W9meLlU. [ 編集]


訂正  国民体力怨嗟-国民体力検査

M検のMってなんのことでしょう?
= Masculin 男性器
【2009/05/14 20:52】 URL | だれかさん #- [ 編集]


そういえばさん

詳しくおねがいします。

国民体力怨嗟の体力検査と体力章検定の関係を教えてください。
【2009/05/14 20:48】 URL | だれかさん #- [ 編集]

質問
M検のMってなんのことでしょう?
【2009/05/14 19:13】 URL | 昔のにいさん #- [ 編集]

そう云えば‥
体力章検定‥と云うのが ありましたねぇ‥。
但し私の中学では 第二次性徴検査は、体力章検定とは別に 行っていたように憶えています。
【2009/05/14 17:47】 URL | youkou #W9meLlU. [ 編集]

訂正
訂正ーー

おく民体力検査は。 ー国民体力検査
自分の番がチ被いた頃 -自分の番が近ずいたころ
チョウヘイエンサするあら。 ーチョウエイケンサするから
自分だけ女いやらしい行為をー自分だけいやらしい行為を
何回も魅し抱き何回も難解もしてー何回も揉みしだき何回も何回もして
発毛の平均年齢は144歳だっとという -14,4歳
パンツ二手を変えて脱いでしまう、ー、パンツに手をかけて脱いでしまう
【2009/05/13 23:10】 URL | だれかさん #- [ 編集]

国民体力検査
少年が怯えた徴兵検査のM検ということであれば、徴兵検査もさることながら、もうひとつ実際に中学生からあった『国民体力検査』があると思います。

おく民体力検査は予備徴兵検査とも言うべきもので、昭和15年9月から17歳以上徴兵検査前までの男子たるもの翌昭和16年4月からは15歳以上(その年11月30日で)、つまり、中学三年生以上。体力検査は疾病検査、身体測定、体力検査(体力章検定)殻なり疾病検査にはM検を含む予備徴検査というべきもの。

自分は、戦後十数年立った昭和30年代半ばごろだったが、中学三年生の春の身体検査
のとき、パンツ一枚でしんたいけんさを受け、順番に並んで順番を待つのだが、もう少しで
自分の番がチ被いた頃、先に終わって出てきたヤツガ「チョウヘイエンサするあらパンツ脱げってゾ』といったのだ。。

ええっと思った、それは困るよ嫌だよ、そう思ったものだ。。だがだんだんちかずいてくるのだ、、結果的にソレハウソだった、かつがれたのだ。その頃毛が生え、ヒミツの行為に耽って、自分だけ女いやらしい行為をしているのだろうかと思っていた。敏感な包皮をも魅し抱き何回も難解もして非常に敏感になっていた

昭和17年、中学生に実施した性器検査では発毛の平均年齢は144歳だっとという
そんな恥ずかしい年頃に変わりない中学生が、本当に恥ずかしいから履いているパンツ二手を変えて脱いでしまう、それははずあしかったことでしょう、それも『体力手帳』を渡され徴兵検査まで毎年受け泣けれならなかったという。。
 ,
思春期丸出しの毛の生えかけの中学生で毎年全裸にさせられて ーーというのです。
その恥ずかしさはよくわかるのです

【2009/05/13 22:53】 URL | だれかさん #- [ 編集]

真面目な話で
云えば、私の父が昔親戚の人と酒を呑んでいる時、「兵隊には行っているが実戦の経験はないのでもし先の戦争に日本が勝っていたら、人前で大きな顔はできないだろう」と云い、、「兵隊検査の時、カワカムリではみっともないので、一生懸命自分で◯◯◯したネ」とも言ってました。事実、子供の頃、父と風呂に入った時見た父のサオは見事に剥けていました。子供心に「オトウちゃんのチンボはおとなのチンボだ」と思った記憶があります。



【2009/05/07 21:34】 URL | 昔のにいさん #- [ 編集]

もし‥
あの頃‥ それだけの余裕があったら、さぞ 楽しかったでしょうね‥。
【2009/05/07 19:29】 URL | youkou #W9meLlU. [ 編集]

夢想
そこまでするんだったら、むしろ勃起するのが正常でしない方が恥ずかしいのでは?どうせなら、検査官でなく看護婦さんにチンボの皮をを剥いてもらいたいなあ(笑)そしてタマを握ってもらってサオをしごいてもらえば、いいのにね。そして「サオも睾丸もよく発育していますね。よい道具ですよ。充分にお嫁さんを満足させられるお道具です。お国のために早くお嫁さんをおもらいください」とでも云えば、、、、ね。
【2009/05/07 17:45】 URL | 昔のにいさん #- [ 編集]


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